【ネタバレ】映画『君の名は。』の考察をいくつか読んでなるほどと膝を打った解釈を個人的にまとめる

君の名は。』の考察です。というか自分用に色んな人の考察のまとめみたいなものを書いてみます。なので公開後も加筆修正しまくる予定なのであしからず。あと、「こういう解釈もあるよ!」ってのがあったらバンバン教えてくれると嬉しいです。

公開翌日に見に行って感動しきりで友だちに勧めまくって今日3回目を川崎チネチッタのLIVE ZOUNDで見てきました。たしかに音響がガツンとくると感情の高ぶりも増す。

当然ながら以下はネタバレ放題なので閲覧は自己責任でお願いします。










まず、僕が最も重要だと思っているのは、東浩紀ツイッターで言ってたこれ↓

ラストの5年後(8年後)こそが現在の世界(2016年という意味ではなく、基準・出発点となる世界)であり、まず、2人が出会った。で、"なぜか"運命を感じた。その運命を感じた理由として、「過去に(前世に)あったかもしれない一つの可能性」の物語が遡って生み出された。

この、「あったかもしれない一つの可能性」というのが超重要ワードなのです。

選択肢を選んでいくようなゲームで、複数のルートが用意されていて、その全部のルートをプレイヤーが見ることで初めてそのゲームの世界全体を理解できるようになってるゲームってありますよね?それがゲーム的リアリズムなのです(詳細は東浩紀の本を読め)。

君の名は。」は、糸守の人が死ぬルートと死なないルートの2つを僕らが見せられて、だけど登場人物たちは片方のルートしか覚えてない、というのが一番のポイントだと思うんですよ。

だから参考文献として「ひぐらしのなく頃に」とか「シュタインズ・ゲート」が挙がるんです。ループものに近い。そう考えれば拡大解釈として、三葉は瀧くん以外の男の子とも入れ替わっていたかもしれない(そういう世界線もあるかもしれない)とも考えられるし、更に拡大すれば世代を超えたループもの(少なくとも一葉ばあちゃんは「ハッ、この感じ…前にどこかで…」と感じてる)とも言える。

ほんとに、この点さえ理解できれば、よくある批判「薄っぺらい感動」とか「互いを好きになる過程が描かれてない」とか「なぜ瀧くんが選ばれたのかわからない」とか「ハッピーエンドじゃ今までの新海誠の否定だ」とかはぜんぶ撥ね退けられる。そもそもジャンルは恋愛モノじゃなくて、ソウルメイト・前世モノに近い。

僕も1回目に見たときはこれが理解できてなくて、「なんでこんな、お互い名前を尋ねる、というベタな(低レベルな)ラストにしてしまったのか、と思った。正直、片割れ時のシーンでもう感動がマックスになっていたので、「このまま終わってくれ、後日談みたいなのは付け足さないでくれ」と祈りまくってました。だから5年後が出てきて、ちょっとがっかりした。いやだいぶがっかりした。隕石あぼーんて落ちて糸守の人はみんな死んで、でもそのリアルタイムで中学生の瀧くんは美しい彗星をじっと見つめながらなぜだが涙が出る、というラストにしたほうがいいのに、って。

でも、東浩紀のツイートを読んで、あのラストシーンの意味がいっぺんに理解できました。


つづいて、たらればさんの「【ネタバレ注意】『君の名は。』を見て溢れ出た感想と考察」からの引用。
というか、もうこの記事がほぼ僕の意見と矛盾なくて、しかも気づいてなかった発見がいっぱいあって、すげぇぇぇぇぇぇって叫びながら読んだ。

tarareba722.hatenablog.com

1200年周期で地球に近づく彗星は少なくとも3回落ちている。一度目は中心に口噛み酒を祀った祠のあるクレーター(だから祠に彗星の壁画がある≒2400年前でまだ文字が入っていない時代)、二度目が糸守湖を作り、三度目が今回。

糸守湖だけでなく、御神体のある場所も明らかに隕石が落ちた痕だよね、ってのはわかってたけど、瀧が口噛み酒を飲んだあと、足を滑らせたときに天井に彗星の壁画があるのは、文字のない時代(2400年前)だったから、というのは目からウロコだ!! 1200年前は文字があったけど繭五郎の大火で焼けてしまったってことね。

主人公の2人が直接には出会っていないのに惹かれ合うためには、2人が周囲に愛されている必要があったんですね。入れ替わっているあいだ、2人は周囲の人間や環境を通して、それぞれが「どんな人間か」を深く知っていくわけです。

この解釈も自分にはなかった。まじすげえ。「入れ替わってる間(特に初回)どうやって学校生活乗り切ったんだよ普通ムリだろ」というツッコミにはこれで反論できる。すなわち「2人とも、それくらい良い友達に囲まれてるってことだよ!」。
他人からの目線を気にするSNS世代にとってはむしろ、様子がおかしくても、心配こそしてくれるが怪しんだり嫌ったりはしない友達や家族やバイト先の先輩に囲まれている、というだけで人物像の説明は十分ということなのかもしれない。

瀧くんが描く絵は「街や風景」ばかりで「人物」は描こうとしません。(中略)これは本作でキャラクターデザインを田中将賀氏に任せて、自身は背景画の作り込みに徹した新海監督自身もモチーフになっているのではないでしょうか。

あああ!なるほど!絶対そうだよね!

途中、勅使河原家の町長接待シーンで、隣室にいる勅使河原克彦くんが「腐敗の匂いがする」とつぶやきます。これは、三葉さんのかなり破滅的で犯罪的な避難作戦に勅使河原くんがすすんで協力する伏線なんですね。

これも気づかなかった。言われてみれば、序盤で三葉とさやちんが、糸守の田舎っぷりに文句を言っているときに、てっしーがちょっとだけイラついた様子を見せてから「カフェ」に誘ったり、さやちんに将来のことを聞かれて「この町でずっと暮らしていくんだと思う」と言っていたりと、てっしーは糸守の町それ自体は嫌いではないんだと思う。ただ、このまま行けば自分も父親と同じになってしまう、という葛藤があったってことなのねー。納得納得。



続いて、細かいところだけど、以下のブログ記事について。
「君の名は。」一点だけよく分からないところ(ネタバレあり)追記あり | blog.roudai.net

ここで三葉が、テッシーに自転車壊しちゃってごめん(壊したのは瀧だけど)、と謝ると、テッシーの反応は
「はあ?誰が?」
となる。この反応はいったいなんなんだろう、という話。
(中略)
瀧と三葉の活躍によりほとんど犠牲者がでずに終わるかの世界線が入れ替わったところなので、
そのあたりを表現している(前後での世界線の違いを強調してる)とも思えるけど、どうなろうなと。

追記で"壊したのお前やろ、っていう意味の誰が?だったと"と解釈を変えて納得しているようだが、僕は、ろーだいさんの当初の考え、正しいと思う。

というか、これと全く同じことを岡田斗司夫がニコ生で言っていた。

数時間前に強引に自転車を奪っていった人に、「自転車壊しちゃってごめん、って言ってたよ」と言われたとして、「誰が?」と返答するのはやっぱり不自然だと思う。「え?俺の自転車壊したの?」ってリアクションがまずあるべきでしょ。
だから、てっしーがバイクに乗っているのは「自転車を持っていかれたから代わりに」ではなく、「糸守の住人が助かる世界線へ移ったから(後の世界線において、てっしーははじめからバイクに乗っている)」が正しいと思うんだけどなぁ。

そう考えたほうが、「瀧と三葉が片割れ時に出会ったことによって糸守の人が救われた」ということが明確になる。おお、セカイ系っぽい。


もう一個、岡田斗司夫がニコ生で言ってたことなんですが、「隕石が1200年周期で落ちてくるのは、ティアマト彗星自身も、地球に落ちている"片割れ"に会いたいと思っているから」という解釈。つまり織姫と彦星ってやつ。この解釈はかなりしっくり来るんだけど、難点は「片割れどころがいくつにもバラバラになってんじゃねぇかw」というツッコミが入ること。

彗星に意志があると仮定すれば「地球に落ちた片割れに会いたいけど、会おうとするとまた人間に被害を及ぼしてしまう、だからそれを避けるために一部の人間に特殊な能力を与えよう」と彗星が(または彗星を含む超宇宙意思みたいなものが)宮水家の人々に入れ替わり能力・タイムリープ能力を与えた、って考えられそう。まあこれはかなりの拡大解釈と言うか、個人的な解釈ですね、劇中にエビデンスがあるわけではないです。


最後に一つ、疑問があります。これはいろんなブログやツイッターで言及されているのですが、「三葉が東京へ行って瀧に組紐を渡した。これによって入れ替わりの発動条件を満たした」という解釈。これ、明らかにパラドックスなのに、「まあ、パラドックスだけどそれはご愛嬌ww」みたいな捉え方をされていて、すげえ納得いかない。

さっきの、「片割れ時に出会ったから糸守の人が救われた」と関係するんですが。組紐を中学生の瀧くんに渡したのは、入れ替わりの発動条件ではなく、片割れ時に出会う(物理的接触をする)ための条件、と考えたほうが自然じゃないですかね?そのために、事前に接触しておく必要があった。3年後に会いに来てもらうために、三葉が死ぬ前に(もちろん明日死ぬと自覚してはいないけど)会いに行く必要があった。一葉ばあちゃんが「糸をつなぐことも結び、人をつなぐくことも結び、時間の流れも結び」と言ってるように(正確なセリフは忘れた)、組紐を渡しておくことによって、組紐を通じて、時間を超えてつながることができたのではないか。

組紐に三葉の記憶または時間超越能力が宿っていて、それによって瀧が三葉の夢を見ることができ、入れ替わりが発動した、という解釈もあるようだけど、それだと片手落ちだと思う。瀧が三葉の夢を見ることはできるけど、三葉が瀧の夢を見たことの説明にはならない(さっき言ったパラドックス)と思うんだけどなぁ。

じゃあ、なぜ入れ替わりが起こったのか?入れ替わり能力は宮水の、すなわち三葉側の能力だとして、なぜ瀧くんが選ばれたのか?って言うところなんですが。これこそまさに、はじめに書いた「あったかもしれない一つの可能性」で考えればいいと思うんですよね。多元世界解釈です。

三葉が、「来世は大阪のイケメン男子に」と願った世界線もあったかもしれない、でもその世界線では、お互いに会いたいと思うまでには至らなかった。そういういくつもの可能性の中で、"たまたま"瀧くんがうまく行った。つまり瀧くんは確率的に選ばれたにすぎない。と。

君の名は。」は、男の子と女の子がフェアに描かれているようで、結局は男の子目線の、「特別な女の子に選ばれたい」というお話だ、ということですよね。


とりあえずここまで。まだまだ付け足す予定。